親でもなく、先生でもない"大人"だからできること①

毎日、暑いですね…。
実は私、自宅でクーラーをつけられません。理由は……虫が怖いから。笑(どんな理由だ!)
引っ越してすぐ、お風呂の排水溝から毛虫が出てきたり、換気扇からカメムシが出てきたりして…。
それ以来、クーラーもどこかとつながってる気がして怖いんです。なんだか、クーラーの中には、排水溝や換気扇よりもっと大きい何かがいそうで。
皆さんは、ちゃんとクーラーつけてくださいね。熱中症、怖いですから。
そんな余談はさておき…。
今日は「子どもの社会性」に関するお話です。
これまで、教育・保育・医療の現場で、さまざまな状況や環境にいる子どもたちと接してきて感じることがあります。
それは、
第三者の大人と関わる機会が多い子の方が、社会性が高い
ということ。
もともと感じていたことではありましたが、移住して、都会と地方という異なる環境でさらに多くの子どもと関わるようになってから、より一層その傾向を強く感じるようになりました。
「社会性」とはなにか?
解釈はさまざまありますが、ここでは
人と関わりながら、円滑に生きていくために必要な力の一部
とします。
コミュニケーション力だけでなく、協調性や道徳的な感覚(マナー、モラルなど)も含めたものです。
人はひとりでは生きていけません。
そう考えると、社会性って、ものすごく大切な力ですよね。
年齢によって身につけられる社会性の「内容」や「質」は変わりますが、それについては、今回は割愛しますね。
文部科学省や、子どもと社会との関係を研究している機関なども、社会性の高さと、地域や他者との関わりの深さには相関があると示しています。
都市化の進行や、地域とのつながりの希薄化によって、本来は日常生活の中で自然と育まれていた力が、今では育ちにくくなっているのです。
社会性も、まさにそのひとつです。
こどもは、大人を見て育ちます。
ここでいう「大人」は、親だけではありません。
近所のおじちゃん・おばちゃん、お兄さん・お姉さん、先生や親戚など――
その子の周りにいる、すべての大人のことです。
特に学童期前後には、大人の言動を見て、「世の中ってこういうものなんだ」と理解していきます。
善悪の区別や、社会のルールを少しずつ学びながら育っていくのです。
もし、関わる大人が親だけだったら…?
親の言葉がすべてになります。
親の見せる姿が、その子の中の「大人」のすべてになります。
つまり、その子が知る「人間社会」の幅は、親の示した範囲だけに限られてしまうのです。
でも、もしそこにもうひとり、親以外の大人が加わったら?
その大人が話すこと、見せてくれる姿が増える分だけ、子どもの世界は広がっていきます。
「人っていろいろいるんだ」「社会ってひとつじゃないんだ」――そう感じられるようになります。
私は、親でも、先生でもありません。
だからこそ、一緒に過ごせる時間があります。
もし自分が親だったら、ここまで寛容にはなれないかもしれません。
もし自分が先生だったら、つい「学び」を優先してしまうかもしれません。
でも今の私は、そのどちらでもない「ただの大人」。
だからこそできる関わりがあるのだと感じています。
子どもにとっての「社会の幅」を、少しでも広げられるような存在でありたい。
そのために、これからも「親でもなく、先生でもない大人」として、子どもと関わり続けていきたいと思っています。


